実は私、「いちねんせいになったら」という歌が嫌いなんです。卒園式の茶話会で歌うけれど。

いちねんせいになったら いちねんせいになったら ともだちひゃくにんできるかな

小学校への期待が現れている曲ですね。
期待なら良いのですけれど・・・友だちが多いほうがいいのですか?
大人はそう思いますよね。幼稚園に入園するとき、我が子に友だちができなかったらどうしようと不安でしたよね。

でも、友だちが多いほうが良いのでしょうか。
「100人の友だちと浅い付き合いをするよりも、数人の友だちと深い付き合いをする方がいい」と思う子もいるでしょう。
もちろん友だちが多いことを否定するつもりはありません。でも子どもひとりひとりの感じ方、価値観はそれぞれ違います。プラレールが好きな子もいれば絵を描くことが好きな子もいる。そういう子どもの世界観を大事にしてあげたいのです。

 

ある小学校の先生のブログ記事です。
よけいなお節介。 – いわせんの仕事部屋

ここに登場する「みさきちゃん」は、大人から見れば「ケアしてあげたい子」です。でも、みさきちゃんは本を読むのが好きで、友だちが楽しそうに見ているのが好き。それを「友だちがいた方が良い」という大人の価値観で、みさきちゃんの大切な世界を壊してしまうかもしれないのです。

「友だちと遊びたいけれど最初の一歩が踏み出せない」という子には、さりげなく友だちとの接点を作ってあげることは大切ですね。

後半で紹介されている津守真先生の「保育者や学校の教師は(略)何もしないこと、空想にふけること、目的のない役に立たない活動などに価値を認めない傾向がある」は、重い言葉です。保育者として、つい大人の価値観で子どもを「理想の子ども像」に近づけようとする態度を諌めています。

金子みすゞの私と小鳥と鈴とという詩をご存知でしょう。「みんなちがって みんないい」なんです。
この詩には、それぞれの違いを認めるということだけでなく、「どんな人間でも(動物でも、ものでも)、尊重され愛される存在なのだ」という意味が込められていると思います。

もちろん、子どもがいけないことをしてもその行動を尊重すべきだとは思いません。そういうときはきちんと叱ってあげるべきです。こういうときの「大人の価値観」は大切です。きちんと叱ってあげなければ、子どもが危険にさらされたり善悪の判断ができなくなってしまいます。

わたしたち大人は、大人の価値観を押し付けるのではなく、愛情を持って子どもの心に寄り添い、その子が充実した人生を送れるようにサポートする役割があるのだと思っています。