めろん組の子どもたちが、お遊戯会の劇「ジャックと豆の木」のセリフを考えているとき、担任がちょっと刺激してみました。「鬼(大男)はなにか悪いことをしたのかなあ?」。子どもたちは不思議そうな顔をしましたが、やがて「そういえば悪いことはしてないよね」「ジャックのほうが、鬼からものを盗んでいるし」と、鬼の視点から考えた意見が出てきました。絶対的な悪に見えていた鬼にも、その立場に立ってみると世界が違って見えてくるのですね。そこで、ストーリーが大幅に変更になったそうです。(当日はまた変更になっているかもしれませんが)

こんなふうにいろいろな視点から考えていけるのが年長さんですね。もちろんそれには年少・年柱での様々な経験が土台になっていますが。

福沢諭吉も子どもたちへの教えの中で「桃太郎の鬼はかわいそうだ。桃太郎は泥棒ではないか?」と、常識を疑ってみることを勧めています。与えられたものをただこなすのではなく、自分で考える力、いろいろな視点を持つことは、これからの小学校での学習にかならず役に立つでしょうし、「相手の立場に立って考えてみる」ことは思いやりの心につながっていくはずです。

 

(追加)

※ ジャックと豆の木について

ジャックと豆の木にはいくつかのバリエーションがあって、

  • 鬼がもっていた宝物はジャックの父親を殺して奪ったものだった
  • 奪ったニワトリは卵を産まなくなり、袋は金と銀を出し尽くし、ハープも歌わなくなってしまう。そこで母親が「他人から奪った宝物で幸せを掴もうとしても長続きしない。本当の幸せとは額に汗して努力で掴むものである」と言い、ジャックに麦のタネを手渡し、「この種を立派に育ててごらん。そうすればお前も本当の幸せとはどんな物か分かるよ」とさとす

でも、いちばん有名なジョゼフ・ジェイコブスの著書『イングランド民話集』では上のような話はありません。めろん組のお話はこの著書に沿って書かれた「ジャックとまめのき」(いもとようこ)で、ジェイコブスのお話に沿っています。

ジャックとまめのき (いもとようこの世界の名作絵本) | いもと ようこ |本 | 通販 | Amazon

 

※ 福沢諭吉の「桃太郎悪人論」

諭吉の子どもたちに1日1つずつ渡された教えをまとめた「ひびのをしへ」(日々の教え)という著作の中にあります。

ひびのおしえ – Wikisource

 もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。もしまたそのおにが、いつたいわろきものにて、よのなかのさまたげをなせしことあらば、もゝたろふのゆうきにて、これをこらしむるは、はなはだよきことなれども、たからをとりてうちにかへり、おぢいさんとおばゝさんにあげたとは、たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり。

(現代語訳)
桃太郎が鬼ヶ島に言ったのは、宝を取りに行ったとのことだ。けしからんことだ。宝は鬼が大事にしまっておいたもので、宝の持ち主は鬼である。持ち主のある宝を理由もなく取りに行くとは、桃太郎は泥棒とも言える悪者である。鬼が悪い者で、世の中に悪さをしていたのならば桃太郎の勇気で懲らしめるのは良いことだけれど、宝を取って家に帰り、おじいさんとおばあさんにあげたというのは、単に欲のためのことで、卑劣である。

しかもここでは、「鬼が悪いことをしていたとしても、だから盗んでよいわけではない」と言っています。

私はこの考え、いじめの加害者の「だってあの子が悪いことをしたから」という言い訳は正しくないということに通じると思っています。悪いことをしたのならちゃんと意見をいうべきであって、いじめをして良いことにはなりません。

 

※ 「思いやり」とは

「思いやり」は感情や気持ちと思われていますね。でも実はそういう気持ちを持てるのは、知的な(認知的な)発達が必要です。
よく2〜3歳の子どもが「はんぶんこ」と言います。大人はこれを「相手のことも考えて、思いやりがある」と感じます。でもこの時期の子どもの「はんぶんこ」は、大人がそうしているのを見て真似っ子しているのです。それがいけないのではありません。「社会的模倣」と言って、大事な発達過程です。
では本当に相手のことを考えて思いやりを持つためには何が必要でしょうか?
それは「視点を飛ばす」という知的な思考です。

  • 3つの山問題

現代の発達心理学の基礎を作った J.ピアジェ が行った有名な実験です。
下の写真が3つの山。これを子どもから見て向こう側、右側、左側から見たらどう見えるでしょう?

写真は名古屋市立鶴舞小学校の伊藤亮吉先生(当時)の論文ページからお借りしました。
この方の小学校教育についての研究、とても興味深いのでぜひご覧ください。
子どもの発達段階と教育

ピアジェは、「自分の見ている位置以外からの見え方を想像することは、6〜7歳くらいにできるようになる」と言っています。(もちろん個人差はあります)
これは空間認知という領域の話ですが、こういう視点の移動(メンタルローテーションと言います)ができるようになると、視覚的なものだけでなく「立場」や「気持ち」についても視点を移動できるようになっていきます。たとえば「自分がぶたれたら痛い」→「相手ぶたれたら痛いだろう」と、他者の気持ちに視点を移動するということです。
これは3歳児くらいだとまだわかりません。それが、「ぶたれて痛かった」「ぶったら相手が泣いた」という経験を通してだんだんとわかってくるのです。5才児だとかなり抽象的な気持ちもわかるようになっていきます。

「ひとりごと」に書いた5歳児たちも、それまでにいろいろな経験をしてきたからこそ、鬼の立場に立てたということですね。
相手の立場を想像する、相手の痛みを理解するという「思いやり」の気持ちはいろいろな経験を通して知的に(認知的に)発達することで生まれてきます。だからこそ「自分がいじめられたら嫌な気持ちになる。相手もそうだよね」と思いやれるようになることが大切だと考えています。